日本プロレスの父
力道山 押入れから出てきた古いプロレスプロマイドも、いよいよ最後となりました。大トリは、日本プロレスの父、力道山です。
私は、時代的にリアルタイム世代ではありませんが、何しろ戦後最大のスターですから、日本のプロレスファンでその名を知らない人はいないでしょう。現在では、プロレスファンというと、ちょっとマニアックなイメージを持たれますが、力道山の活躍した時代は国民だれもがプロレスファンだったといってもおかしくないくらいにメジャーなプロスポーツだったそうな。今と違って我ら庶民にとって、海外の情報が希薄だった時代に、吸血鬼やら人間山脈、密林王なんていう、怪しくも恐ろしい怪物たちが次々と海を渡って襲って来て、力道山が迎え撃ってやっつけるという対決の図式は、敗戦の傷痕も生々しい当時の日本人の心をつかんだに違いありません。悪いガイジンをバッタバッタとやっつける力道山のファイトスタイルは、どちらかというと荒っぽい。でもそれが効果的だったように思います。なぜなら、戦争に敗けた屈辱を晴らすには、高度なテクニックでキメるより、やっぱり“空手チョップ”のほうが痛快ですからね。

そういえば子供の頃、プロレス好きのおばさん(おばあちゃん)というのが結構いましたが、今思えば、夫や恋人、息子なんかを戦争で失った悔しさを力道山の背中に被せて、アメリカ人をブッ飛ばしていたのかも知れませんね。
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- 2020/06/22(月) 10:28:11|
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シャープ兄弟 プロレスで〇〇兄弟といえば?と、問われれば、私らの世代はドリーとテリーのファンク兄弟ですね、または600キロのマクガイヤー兄弟となりまして、ちょっと下がってサモアンズとかケリーツインズなどもいましたが、彼らは○○兄弟とは言わないので、ここでは省きましょう。ところが我らの上の世代となりますと、みなさん口をそろえてシャープ兄弟とおっしゃいます。昭和30年代に大人だった人たちには、プロレスファンでなくとも知られた名前です。
押入れから出てきた古いプロレスプロマイドも、残すとこ僅かとなりました。今回はベンとマイクのシャープ兄弟です。

上の写真、左が弟のマイク、右が兄のベンとなりますが、私はリアルタイムを知りません。力道山の映画とか特番で見たくらいです。ここからは、20年くらい前に日本テレビが製作した“終戦50年特番”からの引用と主観を交えて述べますと、昭和29年の今日〈2月19日〉、蔵前国技館で記念すべきプロレスリングの国際試合が行われました。
「…日本側選手の登場“柔道の鬼”木村政彦に続いて力道山、五尺七寸五分三十貫、大声援に迎えられました。赤のコーナー、世界タッグ選手権保持者ベン・シャープ、マイク・シャープ、真っ白なブレザー、颯爽とリングに上がります。…大きい、大きい、雲つくような大男、濃紺のガウンの力道山、柔道の木村政彦が小さく見えます…」

戦争に敗けて10年も経っていないこのころ、大きなアメリカ人にコンプレックスを抱いていた日本人も少なくなかったに違いない。
「…空手チョッープ!大きなベン・シャープが伸びました!ワン、ツー、スリー!日本が獲りました。日本勝ちました。アメリカを破りました!」
戦争に敗けた、アメリカに敗けた、と体の芯まで染み入った当時の人々に“日本勝ちました”は、震えるほどの衝撃だったに違いない。まだ家庭にテレビが普及していなかったこのころ、街頭テレビに集まった群衆は、いつまでも歓喜に浸っていたそうです。そして後年、2月19日は“プロレスの日”となりました。
ついでながら、兄のベンは、息子に“リキ”と名付けたそうです。弟マイクの息子は、レスラーとなって全日本プロレスに参戦しましたが、一緒に来たジン・キニスキーの衰えばかりが気になって、イマイチ覚えがありません。
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- 2020/02/19(水) 10:55:10|
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神様 カール・ゴッチ 押入れから出てきた懐かしいプロレスプロマイドも、残り少なくなりました。
今回はプロレスの神様カール・ゴッチです。

英国ビリー・ライレージム、通称“蛇の穴”出身で、ものすごく強い、相手の体を自在に操る鮮やかな技術の数々は芸術品。しかしながら、こういう美意識は日本人好みだったのでしょう、アメリカではトップスターという風にはなれなかったみたいです。“強い”と“売れる”は、どうも少し違うようで。僕は好きでしたねえ、全盛期こそ見られませんでしたが、新日本プロレスに参戦した時の猪木戦、テーズとのタッグなんかが記憶にあります。腰から上をピンとのばし、ロビンソンのような柔軟性は感じられませんが、そこがまた頑固そうで形になっている。そして的確に極める技。1982年の正月、温泉宿で藤原喜明とのエキジビションを観ていたら、いっしょにいたプロレスに興味のない友達が、あまりの上手さに唸っていたのが忘れられません。頭に書いた蛇の穴ビリー・ライレージムのことですが、僕ら昭和少年は、漫画『タイガーマスク』に出てきた虎の穴をイメージしますが、どうもジムのあったウィガン (Wigan)には炭鉱があったらしく、そこから蛇の穴とあだ名がついたようで、ゴッチのいた頃はとても質素なジムだったとか。漫画の虎の穴とはだいぶ違っていたようです。
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- 2019/12/16(月) 15:59:47|
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北海の獅子 ラリー・ヘニング 押入れから出てきた懐かしいプロレスプロマイド。今回は北海の獅子ラリー・ヘニングです。

その名前は雑誌やレスラー名鑑で知ってはいましたが、本物は見たことがなく、一度見てみたいなぁ、と思っていた折、1981年の全日本プロレス、世界最強タッグに来日が決定、なんでもハリー・レイスの兄貴分みたいな触れ込みだったので期待はパンパンに膨らんでいましたが、実際は峠を越えていたのでしょう、主だった記憶はありません。息子さんのカート・ヘニングは、WWFでスターになりましたけど、WWWFがWWFになったあたりから、プロレスのショー性があまりに強くなったので、心がだんだん離れてゆきましたね。
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- 2019/07/29(月) 10:48:54|
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リッキー・ハンター 押入れから出てきた古いプロレスプロマイド。中学生のころ、浅草マルベル堂で買ったものです。当時一枚80円だったかな?お小遣いで手の届くものだったので、少しずつ集めましたっけ。
今回はリッキー・ハンター。ニックネームは分りません。ネットで調べると“氷上鬼”となっていますが、これはアイスホッケー選手だったことが由来のようですね。でも、プロレスとして氷上ってどうなの?氷上デスマッチみたいなのがあれば別ですけど、ちょっとピンとこないです。

ファイトのほうは、新日本プロレス参戦時、昭和50年かそこらにテレビで観ました。実にクリーンでカッコイイ印象がありました。体はそれほど大きくありませんでしたが、キレの良い技、ロープブレイクの際に後転倒立をしてスクっと離れるところなど、思わず拍手でしたね。ルックスもファイトもバランスが良くて、際立った個性味がありませんでしたから、トップスターというところまでは行かなかったみたいですけど、僕にとってはその一試合の印象が強くて名前は忘れませんでした。
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- 2019/07/01(月) 10:51:57|
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