フラバナとフラバラ 特撮ファンのかたは、東宝映画『フランケンシュタイン対地底怪獣〈バラゴン〉』のことを愛情をこめて“フラバラ”とよびますね。
そして怪奇映画ファンのみなさんは、ユニバーサル映画『フランケンシュタインの花嫁』を“フラバナ”と …え?よばない? これは失礼いたしました。それでは今回だけ識別のため“フラ花”と書かせていただきます。だっていちいち『フランケンシュタインの花嫁』って書くの面倒くさいんだもーん。
ご存じフラバラの面白さは今さら申し述べるまでもございませんが、フラ花の続編という風に観ますとさらにその味わいが深まりますことをここに控えておきたいのであります。
まずはフラ花『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)のほうですが、これは名画ですねえ。モンスター映画とかスリラー映画などという細かいジャンルを抜きにして、人とはどうあるべきか、美しさとは何ぞや?を問いかける深ーいドラマであります。
前作『フランケンシュタイン』(1931年)で命を吹き込まれた死ねない運命を背負った怪人は、本作で言葉を覚えます。まず森に住む盲目の老人が「よい」とか「わるい」といった感情を教えます。その後、悪い魔術師にいろいろな言葉を教え込まれるんですが、今回はそこには触れません。先の老人、そうです、目の見えない人にはイケメンも美女も姿自慢は無力ですね、したがって姿の不味さもおなじです。老人は怪人を好意をもって迎え入れ、たのしいひとときを送ります。怪人がはじめて触れた優しさに、涙を落とすところは珠玉の名場面といえましょう。

本作では、これまで殺人を犯していた怪人の心が、本当は清らかで無知だということが描かれていて、クライマックスでは正義の心を宿し、囚われていたフランケンシュタイン夫妻を城から逃がし、自らは女人造人間と共に崩落して消えるんです。劇中には描かれていませんが、崩れゆく城の中で死を決意した怪人の悲しき心情が想像できます。

それから50年ほどが経ち、太平洋戦争末期、生きた怪人の心臓がドイツ軍から日本軍に移送されるところからフラバラ『フランケンシュタイン対地底怪獣〈バラゴン〉』の物語が始まります。お見事なつながり。
この順番で観ますとね、フラバラにおけるフランケン怪人の設定や演技が実によく研究されている事がわかります。水野久美さん演じる戸上博士のアクセサリーに魅了される手の演技、薄笑い。音楽が好きな性格と、正義の心。戦う相手を最後に持ち上げて投げるクセ(?)なんかもよく継承されております。

姿が怪奇だからといって、束になって追い掛け回しイジメる群衆どもの愚行がここでもちゃんと描かれていて…おそらくここが大事だと思う…ドラマが進むほどに怪人への情が移ってゆき、しまいには孤独な怪人を応援したくなってまいります。

そしてこちらもラストの怪人の最期を描く場面では、地割れにしろ、タコにしろ、最後の叫びが「おれはこれでいいんだー」に聞こえてくるから不思議です。子供のころは単なる雄叫びだと思ってたんですがね。

こんな切ない気持ちで怪人の最期を見ながら 「所詮、彼は怪物だ」 という人間側の冷たい台詞で幕を閉じます。
このようにフラ花からフラバラへと続けて観ますと、いろんなことが頭をめぐり、考えさせられる深ーい悲劇にどっぷり浸かった満足感で胸がいっぱいになれます。観終われば濡れて丸めて小さくなったティッシュペーパーがごろごろ転がっていることでしょう。
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- 2015/01/13(火) 12:16:14|
- 視聴鑑賞
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