時とはなんだ?時計とはなんだ? “時”とは、あらゆる事象に必ずつきまとうものでありながら、捉えようのない摩訶不思議な存在でありますが、それを暮らしに都合よく割り振って約束事にしたのが、これ“時間”というやつでして、それを我々に伝える機器が“時計”であるといえましょう。
東京は表参道のスパイラルガーデンで開催されている『シチズン100年特別展』を見てきました。
個人的な感想です。
まずは圧巻、光の回廊、立体的にレイアウトされた光の粒子に視界すべてが包まれる。異次元に引きずり込まれた錯覚を覚えます。

降り注ぐ光の粒子は、時計の地板。地板は時計すべての基盤、つまりは命、人にも置き換えられる要素です。つまりは冒頭の謎に戻りますが、時というものは主観あってこそ成り立つもので、人にそれぞれ、場面にそれぞれ、違う“時”が宿ります。
ちょっと立ち位置を変えて見てみよう。

ほら…

ほら…、模様が変わる、景色が変わる。空間そのものが変わる。立ったりしゃがんだり、首をかしげてごらんなさい。万華鏡の中に閉じ込められたかのようです。こういう方法で、時というあやふやなものを表現しているのかと思うと、考えた人はさすがだなと思います。
こんな不思議空間の中央に光るテーブル。

周りの星々が映りこむ円形劇場は、まるで月面基地。中には切分よろしく60個の時計が並んでいて、直径1メートルほどの大きな時計の様相を呈しているのですが、その小さな一つ一つが、これまた時計という、時の曼荼羅。

しかもこれらは、全部動いていて生き物のよう。中央には「時計は命を宿した製品です」とのメッセージが書かれています。なるほど、私も初めての時計組み立てで、テンプが動き出した瞬間、フランケンシュタイン博士じゃないけれど「生きてるぞ」と心で思ったものです。この自立した動力製品であるという側面も、時計の面白さの一つと言えましょう。
こちらは壁の穴。穴があったら覗きたいというのは、これ人情。

穴の中には、シチズンが作ってきた色々な物が、要素に分解されて展示されていました。

私が特に感動したのは、デジタル創生期の白黒フィルムです。針式表示が普通だった時計が数字表示に変わる大変革期に、どう表現しようかと苦労、模索している様子が、コマ撮りフィルムからにじみ出ていて、ものすごい説得力でした。これを見たらまた物欲が頭をもたげ、初期のデジタル時計が欲しくなってきちゃいました。
一方こちらは100個の時計。しかも動きが全部ばらばらです。

何を意味するのか?スタッフの方に聞いてみたら、今この1秒に行われている数々の事象を100件集めて、それらをイメージした針の動きなのだそうです。正直、見ても何が何だかわかりません。
ところがそのヒントは、並行して映し出されている壁面の映像にありました。
1秒の世界。

毎秒、世界で何万人が産声を上げているとか、何万リットルの涙が流れているとか、そういった事例が100例、1秒ごとに切り替わる映像です。普段の生活では、とかく使い捨てになりがちな1秒ですが、実は重い。そんな止めることのできない流れ行く一秒一秒の重さを再認識させてくれる場面です。
ほかにもいろんなコーナーがありましたが、仕事の時間が迫っていたので駆け足の見物となりました。普段なにげなく集めている時計ですが、それって何?を考えるきっかけになりました。
時の感じ方、人それぞれ。
時計を好きになる形も、人それぞれ。
そして、時って何?
それは考えなくていいと思う。
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- 2018/12/12(水) 09:50:30|
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