シャープ兄弟 プロレスで〇〇兄弟といえば?と、問われれば、私らの世代はドリーとテリーのファンク兄弟ですね、または600キロのマクガイヤー兄弟となりまして、ちょっと下がってサモアンズとかケリーツインズなどもいましたが、彼らは○○兄弟とは言わないので、ここでは省きましょう。ところが我らの上の世代となりますと、みなさん口をそろえてシャープ兄弟とおっしゃいます。昭和30年代に大人だった人たちには、プロレスファンでなくとも知られた名前です。
押入れから出てきた古いプロレスプロマイドも、残すとこ僅かとなりました。今回はベンとマイクのシャープ兄弟です。

上の写真、左が弟のマイク、右が兄のベンとなりますが、私はリアルタイムを知りません。力道山の映画とか特番で見たくらいです。ここからは、20年くらい前に日本テレビが製作した“終戦50年特番”からの引用と主観を交えて述べますと、昭和29年の今日〈2月19日〉、蔵前国技館で記念すべきプロレスリングの国際試合が行われました。
「…日本側選手の登場“柔道の鬼”木村政彦に続いて力道山、五尺七寸五分三十貫、大声援に迎えられました。赤のコーナー、世界タッグ選手権保持者ベン・シャープ、マイク・シャープ、真っ白なブレザー、颯爽とリングに上がります。…大きい、大きい、雲つくような大男、濃紺のガウンの力道山、柔道の木村政彦が小さく見えます…」

戦争に敗けて10年も経っていないこのころ、大きなアメリカ人にコンプレックスを抱いていた日本人も少なくなかったに違いない。
「…空手チョッープ!大きなベン・シャープが伸びました!ワン、ツー、スリー!日本が獲りました。日本勝ちました。アメリカを破りました!」
戦争に敗けた、アメリカに敗けた、と体の芯まで染み入った当時の人々に“日本勝ちました”は、震えるほどの衝撃だったに違いない。まだ家庭にテレビが普及していなかったこのころ、街頭テレビに集まった群衆は、いつまでも歓喜に浸っていたそうです。そして後年、2月19日は“プロレスの日”となりました。
ついでながら、兄のベンは、息子に“リキ”と名付けたそうです。弟マイクの息子は、レスラーとなって全日本プロレスに参戦しましたが、一緒に来たジン・キニスキーの衰えばかりが気になって、イマイチ覚えがありません。
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- 2020/02/19(水) 10:55:10|
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