ROYAL ORIENT 21J 3
古いオリエントの機械です。…と、こう書きますと一瞬、古代オリエント文明みたいに見えてしまいますが、そうではありません。

1960年ごろ、つまり昭和の手巻きです。止まってましたが、汚れを落としたら動きました。ここで、毎度お世話になっているトンボ出版刊『国産腕時計⑪オリエント』をめくってみますと、機種はN型、製造開始が1958年(昭和33年)、石数は17,19,21,23と四種類あるということです。で、この中で、テンプにはチラネジ付きと無しがあり、住み分け法則は不明となっていますが、傾向としては、17石はチラネジ主流、19石にはチラ有り無し混合、21,23石はチラなし主流ということです。そして耐震構造にもルビーショック(R耐震)とニュートロショック(N耐震)の二種類があり、N耐震のテンプにはチラがなく、後続機に採用が増えてゆくところから、N耐震チラなしテンプのほうが新しいものとみてよさそうです。
見比べてみましょうか、次の写真左(スマホでは上)が初期ものと思われるチラつきルビーショックで、17石の機械です。動いているのでチラネジが半透明になってしまっていますが付いてます。そして右(スマホでは下)がチラなしニュートロショックです。

見てどうすんの?と言われてしまうと返事に窮しますが、ま、私の中の比較ということで載せておきました。つまり以前に控えた17石モデル(
時計道楽62)が初期もので、今回の21石のほうが新しいものであるという事がおよそ判明したのであります。
さて、ここからは外装です。
真鍮製の金張り側ですが、肌に当たる面がかなり腐蝕しています。

ふわー、前使っていた方は、相当酸味の強い方だったとみえる。金を溶かすなんてエイリアン並みの汗です。
ここは自分用、金を剥がして研磨してメッキをし直す設備はありません。腐蝕を拡大させない程度の即席処理。緑青を削り落とし、真鍮粉をワニスで練って塗りました。

樹脂コーティングといったところでしょうか。時計屋さんは決してこういうことをしません。これは素人の恐ろしさです。
ベゼル、風防も赤粉で拭き上げましたら、だいぶ綺麗になりました。

これで器の準備が出来ました。
機械に文字板と針をつけます。

文字板は、段付きとよばれるもので、外周12分割互い違いのスジ彫りに、中央から大らかに粗びきのサークルが切り開かれ、針のシルエットをクッキリと浮かび上がらせています。V字カットの時字とダイヤ剣の山カットの金色が互いに呼応して小洒落た光を放つ、無駄のない、スッキリとした細縁側によく合うデザインだと思います。
機械を側に組みました。行方不明だった側止めねじは、ついに見つからなかったので、我が家の在庫で補充。

組んでみたところが、長年の使用により摩耗したりゅうずがつるつる、おまけに私の指先も潤いを失っているので滑って巻けません。

ということで、在庫から頃合いのを探しまして、交換。

これでオッケー、カリカリ巻けるようになりました。
こげ茶色の型押しバンドを当ててみました。

なかなか私好みの仕上がりになりました。もう年齢的にも、ゴチャゴチャしたハイカロリーな時計はちょっと胸焼けしますもんで、こういうあっさり味が好みになっています。ゆえに同じようなデザインばかりが集まってしまいます。でもこの、少しの違いがポイントでして、いわゆる「ここが好き」の“ここ”にあたるわけですね。

本日の控え
オリエント ROYALORIENT N型21石 1960年ごろ 当時価格6000円 でした。
上でも述べましたが、本機の製造開始が1958年、つまり昭和33年ということで、東京タワー、チキンラーメンと同期ですね。戦後復興の象徴たる東京タワー、世界初の即席ラーメンは今や世界食。この時計を眺めていると、元気みなぎる昭和の世界が蘇って誇らしい気持ちになります。今はどうよ?テレビをつければ陰気臭いことばかり、感染者数過去最多、過去最多、さいた、さいたってチューリップじゃねえんだバカヤロー!ってなるでしょう?昭和33年の日本、少々お行儀は悪かったけど、みんな輝いていたよ。
あ、生まれてねえやオレ。
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- 2021/01/20(水) 10:25:09|
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